慶應卒の男三人が、東京と名古屋で企業に勤めながら、そこそこ幸せな生活を持ちつつ、歳も30代中盤に入るなかで、「このままでいいのか」と自問自答を繰り返しながら、自分たちの力で何ができるか、何かできないか(起業、NPOなど)ととにかく試行錯誤するストーリー

慶應卒の男三人が、東京と名古屋で企業に勤めながら、そこそこ幸せな生活を持ちつつ、歳も30代中盤に入るなかで、「このままでいいのか」と自問自答を繰り返しながら、自分たちの力で何ができるか、何かできないか(起業、NPOなど)ととにかく試行錯誤するストーリー

ラーメン二郎はサステナブルか(偏ったジロリアンによる偏った分析にて)

にんじんまんです。

 

ラーメン二郎
もはやロマンの塊。
魅力の塊。
奇跡の中毒性をもつ食べ物。

二郎は、ラーメンではなく二郎という食べ物だ


と言われるほど独自のファンを日本全国に持ち、熱狂的ファンで常に行列の絶えないお店。
それがラーメン二郎だ。

 

ja.wikipedia.org

 

二郎に通う人を通称ジロリアンと呼ぶ。
かくいう私もジロリアンだ。

さて今日は巷で少しずつ流行ってきている「サステナブル」という言葉と二郎の関係を考えてみたい。(真剣に)

サステナブルと聞いてピンとくる人はそこそこいるだろうか。

2015年に国連で採択されたSDGsエスディージーズ)を聞いたことがある人も多いだろうが、
このSDGsのSがまさにサステナビリティである。(SDGsはSustainable Development Goalsの略)
 

www.un.org

形容詞がSustainable(サステナブル
名詞がSustainability(サステナビリティ

である。

サステナビリティを日本語に訳すと持続可能性」であり、
環境面で、社会面で、経済面でバランスが取れているか・持続可能であると言えるか・いずれかに偏りすぎていないか、とでも考えると問題ないだろう。

いまいちピンとこない場合は、

環境面で
=環境によいか、または環境への負荷を軽減させる試みができているか


社会面で
=ちゃんと健康に働けるよう配慮をしているか、人権に配慮しているか

経済面で
=売り上げをちゃんとあげられるビジネスモデルか、モデルだけではなく実際にそうなっているか


とここでは表現してみたい。 
もちろんそれだけではないのだが、
いろいろ考え出すと難しくなってもういいや

となるのでここではわかりやすい事例だけを出して対象を限定してみることで
まずは納得してみることを大切にしたい。

 

今やサステナビリティは、世界全体であらゆるプレーヤーが関わっていく必要性のある重要な課題であり、生き残りに関わる最重要な視点・ソリューションでもある。


さて本題に入ろう。

ラーメン二郎サステナブル
を考えてみたい。

上記ワードを踏まえて考えると
要は

ラーメン二郎が存在することで

  • 環境がよくなるか
  • 健康な人が増えるか
  • ちゃんとお金が回るようになるか

という捉え方をしてみたい。

何度も言うが、
上記3つはサステナブルのあくまで1例であり、
実際のところはもっとずっと広い。

しかしもっとちゃんと分析したものは改めて別で書いてみたいと思っており、
ここでは入門編ということでサステナブルの対象を限定してみる。


ラーメン二郎があることで環境がよくなるか

うーむ。
よくなるという表現が良くないと自分で感じる。
環境がよくなる、ではなく
環境のことをしっかり考えてお店をやっている

としてみようか。

するとどうだろう?
ラーメン二郎は環境のことをしっかり考えながらお店をやっているだろうか。

少なくとも数年前まではラーメン二郎というと
とにかく無愛想で遠慮なく大盛りを出し、
残すのがそこまで珍しくなかった気がする
(実態と違っていたらごめんなさい!)

今はというと、
注目をどんどん浴びるようになってからは、
様々なメディアで二郎の量が凄いことをみんな認識するようになり、
前もって「麺少なめで!」「麺半分で!」

と注文する人も増えている気がする。(あくまで主観的なものです)


実際、ラーメン二郎ひばりヶ丘店などでは、
「麺少なめ」というメニューで注文ができるようになった。

ちなみに、ラーメン二郎ひばりヶ丘店はとてもうまい。

 

tabelog.com


そう考えると
二郎は少なくとも「以前よりは」
環境によいお店になっていると考えられはしないだろうか。

つまりは
ラーメン二郎サステナブルである
とひとまず環境面では言いたい。(批判はあるだろうがひとまずの解釈ということでお許しを)

続く。